初めて宿に来たのは26年前
初めて宿に来たのは26年前

普通に考えるなら今日のブログは「どうみん割」の宣伝をすべきなんだろうけど、それよりも25年ほど前にヘルパーをしてくれたY君の追悼を書かねばならぬと思います。昨日聞いた訃報は、突然だったんだけど、どこかでやっぱりという気持ちと本当に?という気持ちが入り混じって呆然としました。

ヘルパーをしてくれて以来、毎年のように何回も来てくれて、最近はほかにお客さんがいない時期に、ビールを2ケースぐらい送ってきてからやってきて、宿主とグダグダに飲んで毒を吐き宿主の暴言に怒ってしかりつけては、またグダグダと仲良く飲んでいたのでした。

この4月の終わりに電話で話したときは、サロベツに行きたいと言っていました。でもコロナの影響で稚内便が欠航していたし、感染したら重症化するリスクがあるんだから、家から出るな!と言いました。Y君は、次に行ったときは、薬の副作用でトイレに近くなったので力石の部屋にしてねって、言ってたのにね。

呼吸器系も心臓もだいぶ弱ってきていて、とY君が言っていたので、昨年に引き続き、またもやSNSの更新が止まってしまったのは入院しているのではないかなあと、ぼんやり思っていました。電話をしてみたけど、つながらないし、普通なら着信を見て折り返し電話をしてくれるのに、それもなかったので、悪い状態でなかったらいいなあと思っていました。

行き当たりばったり無計画な宿主と違って、Y君は老後の人生設計をちゃんと語っていて、家族は持たなかったけど誰にも迷惑をかけないで生きていけるようにしているなんて、言っていました。こんなに早く人生に幕を下ろしてしまったら、意味なかったやん!馬鹿だね。

もう遊んでくれないんだなあ、世話してくれないんだなあ、ビシッと叱ってくれないんだなあと、宿主はしょんぼりとしています。「デマですよ。誰です、こんなことを言いふらしたのは。訴えてやる!」っていう声が聞こえそうなのになあ。宿主だけでなく、東京で息子の世話もしてくれるって約束したのになあ。

我々は、まだまだこの世にしがみついて、コロナ禍でも耐え抜くつもりなので、Y君と遊びの続きをするのはまだまだ先だよ。だけど社交的だから、きっとそちらでもいっぱい仲間を作って(敵も作っていそうだが)世話を焼いているんだろう。そのうち会ったら、また思いっきり毒を吐こうかね。それまでね。またね。