
炎の見える薪ストーブは、宿主の自慢であり道楽の全てである。だから奥さんは薪ストーブの準備や手入れについて、何も口を出さないし手も出さない。しかしある冬の日のこと、奥さんはついに宿主に聞いてみたのだ。「ねえあんた、まだ3月だというのに、あんな薪の量でこの冬を越せるのかい」宿主はぎくりとして言った。「いや、その、う~ん、かあちゃんでも足りないってこと、わかったかい」奥さんは宿主をにらむ。客室などには補助的に石油ストーブが入っているが、居間などメイン暖房はこの薪ストーブ1台である。宿主の道楽とはいえ飾り程度に置いてあるのではない。薪が足りなくなった、では済まされないのである。「大丈夫だって。子供たちに寒い思いはさせないって」
3月も半ばを過ぎて、いよいよ薪が足りなくなってきた。秋から冬にかけて長期間家を留守にしたので、この程度の薪で足りるだろうと、どうやら宿主は目算を誤ってしまったらしい。薪ストーブではなくお尻に火がついた宿主は、スノーモビルで雑林に入り、倒木などを引っ張ってきては即席の薪にした。しかしそのような薪では、腐っていたり湿っていたりして火力は弱い。
5千円で1年間の使い捨ての鉄板薪ストーブを使っていた頃は、薪は主に流木を使っていました。流木だと拾ってくればいいのですから、ただですからね。そしてゴミでも何でも燃えるものはストーブで燃やしていました。ところが炎の見える鋳物の高価な薪ストーブを使うようになると、ちゃんとした薪しか燃やさなくなりました。流木は塩分を含んでいるためストーブを痛めてしまうからです。高温になって燃えるゴミもストーブを痛めるから駄目。我が家の薪ストーブは、ちやほやされるええとこのボンで、宿主はかいがいしくお世話をする爺やの様なものです。