みなさま、お久しぶりです。久しぶりのブログ投稿なんですが、悲しいお知らせです。地元の人のみならず全国から訪れる旅人に親しまれていた、喫茶お天気屋のマスター、松本博和さんが、1月23日に亡くなりました。享年65歳でした。
本当を言うと前回のブログで、事情ができてサロベツを留守にするのを少しのばしたと書いたけど、それはまっちゃんが緊急入院したからでした。小康状態を保っていたので少し留守にしても大丈夫かと思って荷物を実家に送りブログも21日に更新した直後、容体が急激に悪化して、留守にするのを取りやめて…、そう、私はずっとサロベツにおりました。宿主を独りにはできないなあと思ったし、まっちゃんが亡くなったあとブログを更新する気持ちになれなかったことを、察していただければと思います。
宿主がマスターことまっちゃんに初めて会ったのは1981年でした。うちのヘルパーがパンケ沼に遊びに行き、ツーリング中、野鳥観察小屋で偶然休んでいたまっちゃんに、「楽しい宿があるよ!」って紹介して連れてきたのが出会いです。
そのまま、まっちゃんはうちでヘルパーをやり、数々の悪戯を宿主とでお客さんに仕掛け、「うそつき民宿」の悪名をとどろかせることになりました。まっちゃんがヘルパーでいなければ、「うそつき民宿」だの「貧宿あしたの城」だの、旅行者の間で話題になることは無かったと思います。その時の話は、あしたの城物語の「06きつね鍋事件…ヘルパーとやらかしたいたずらの数々」にも載っています。その後いろいろあったけど、まっちゃんは1988年に稚内で喫茶店を開きました。まっちゃんと宿主は、腐れ縁でず~っと繋がっていました。
コロナ禍の入院で誰も見舞いに行けませんでした。でもいろんな人から励ましの電話やメールがまっちゃんにあったみたいで、本人も感謝していたと思います。この1年ばかりは病気で店を閉めていましたが、病状が良くなればまた店を再開したいという思いがずっとあったようです。まっちゃんは地元の人や全国の旅人と、喫茶お天気屋を通して、豊かな人間関係を築き上げていったんだなあと強く感じました。
店はなくなってしまいますが、地元の人や旅行者に親しまれた喫茶店が稚内にあって、マスターがいたということを、どうか忘れないでいてくれたらと思います。まっちゃんは、この半年ばかり薬の副作用で容姿を気にしていたので、まっちゃんがヘルパーをしていた頃や喫茶店を始めたころの、シュッと(!!)していたころの写真を載せますね^^
本来であればここで、どうか安らかにお眠りくださいって書くべきなんだろうけど、私は、何やってんだよ、のんきに寝ている場合じゃないよって、怒鳴ってやりたいです。