炎が見える薪ストーブは、宿主の趣味である。石油ストーブには無い柔らかな暖かさにすっかり魅了されてしまった宿主。 しかし灯油代が高騰している今、薪ストーブは単なる趣味ではなくなっている。石油ストーブで24畳の居間を暖めようと思ったら、 一冬でいったいいくら灯油代がかかるだろう。
宿主が薪ストーブを使い始めたのは、実は薪ストーブにあこがれてではない。 30年近く前、オイルショックで今と同じように灯油代が高騰した時代、宿主は経済的な理由で薪ストーブを使い始めたのだった。 当時の建物は、乏しい資金で仲間達と建てた手作りの家だった。北海道の家は本州よりも2倍の断熱材を入れなくてはならないのに、 資金が無くて、本州の半分しか入れなかった。窓ガラスも2重に入れるところ、やはり予算の関係で、1枚しか入れなかった。 そもそも、冬もサロベツで住む、営業する、なんて考えて家を建てなかった。だから初代の建物は、冬場、おそろしく寒かった。
出稼ぎに行かなくてもすむようになり、宿主が初めて冬をサロベツで越したとき、コタツと本州で使うような反射式ストーブだけで、 過ごせるか試した事がある。いくらストーブを焚いても部屋の気温は6度までにしか上がらず、指先がかじかんで、 コタツから出られたものではなかった。やはり北海道で一般に使われる大型のストーブを使うしかない。 しかし暖気が全部外へ漏れていくような建物だったので、灯油代がひどくかさんだ。
灯油代に参って宿主が買った初代の薪ストーブは、1台3千円、一冬で使い捨ての鉄板ストーブである。流木を拾い集め、 廃材をもらい、燃やせるものはゴミでも何でも焚いた。流木は砂をかんでいて塩分も含んでいるし、ゴミも一気に高温になるので、 薪ストーブは非常に傷むのだが、どうせ使い捨てのストーブだからと、宿主は何でも燃やした。やっと燃料代を気にせず 暖かく冬を過ごせるようになった宿主、やがてユラユラ揺れる炎の安らぎに魅了されていくのだった。
その後宿は断熱効果のある北海道仕様の建物になった。夏は飾りのように置かれている薪ストーブである。しかし燃料代を気にせず、 柔らかで暖かい幸せをくれる薪ストーブは、これからも、おそらくずっと、必要な存在であり続けるだろう。
「なまら蝦夷」の第6号、薪ストーブと宿主シリーズの第6弾です。 今回は薪ストーブとの出会い編です。薪ストーブにあこがれて使い始める方も多いと思いますが、うちは全くの実用品のためです。 なんと言っても初代の建物は、お札を燃やしているように灯油代がかかったそうですから!
今回の写真は全て初代建物時代のものです。昔の写真をアルバムから探したんですが、いいのがなくて苦労しました。 鉄板ストーブの周りにみんな集まって写真を撮っているんで、 ストーブが全部隠れてしまっているんです。上にのっかっているヤカンが見えるだけとか、煙筒だけとかの写真がほとんど。 いまさら昔の写真は撮れません。昔の低気密低断熱の超寒かった家と、それでも今よりはるかに多く冬場訪れたお客さん、 大活躍した鉄版ストーブを想像していただければ幸いであります。